広島カープの魅力!赤ヘルからカープ女子までの歴史・貧乏球団と市民の絆

野球

広島カープは、今でこそ人気球団の1つであり、熱烈なファンと共に毎年優勝争いを繰り広げているチームでありますが、一昔前は真逆のチームと言っても過言ではありませんでした。

万年最下位争い筆頭、球場に行けばヤジが飛び交い、広島ファンと言えば「何故?」と言われてしまう。そんなチームでした。

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赤ヘル軍団の誕生、栄光と挫折、その歴史を掻い摘んで見てみましょう

 

「おらがチーム」広島カープ

広島カープは1950年、まだ戦争の傷跡が多く残る広島に娯楽を、という理念の元誕生しました。

市民球団としてスポンサーを持たないカープは発足から間もなく経営難に陥り、選手の給料や道具代やユニホーム代も払えない有様でした。

移動も劣悪な三等列車、宿泊先のホテル代もなく野宿をすることもありました。

このような環境下のチームを支えたのは「市民」でした。

郷土のチーム、市民球団、「おらがチーム」を無くしてはならないと、子供はなけなしのお小遣いを、大人は酒代やタバコ代、食費を削りお金を出しました。

こうして広島カープは合併を逃れ、今も唯一の市民球団として広島に拠点を置いています。

「貧乏球団」、それは広島カープにとって屈辱の歴史でもあり、広島市民との絆の証でもあるのです。

 

「赤ヘル軍団」誕生

経営の危機を逃れたとはいえ、資金が少ないことは変わらず選手の補強や引き止めには制限がありました。

また当時のドラフトも逆指名が一般的で、カープを選ぶ人は多くありませんでした。

そのため上位を目指すためにカープはある方法に乗り出します。

それがチームの若返りとスカウトの活用です。

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若い選手を入れ、育てることで少ない資金でも戦力に、そしてスカウトは高校や大学で日の目を見ていない選手の中で才能のある選手を見出し入団させていきました。

このチームの若返りと独特のスカウトが功を奏していきます。

外木場、安仁屋、山本浩二、衣笠祥雄などの生え抜き選手達が活躍し、ついに1975年、広島カープの帽子とヘルメットが赤となった記念すべき年に初優勝を果たします。

創設から実に25年目に「赤ヘル旋風」を巻き起こしました。

 

受け継がれる想い

初優勝から「赤ヘル軍団」は好調を維持します。

75年から91年までに6度のリーグ優勝と3度の日本一を達成しています。

しかし91年のリーグ優勝を最後にカープは暗黒期と言われる時代を迎えます。

リーグ優勝は愚かAクラス入りさえも満足に出来ませんでした。

それでもファンは球場に足を運び続けました。苦しい時も栄光の時も共に過ごした球団を応援すること、「市民球団」を支えることは広島市民として当たり前の事だったのです。

そして2016年、最後のリーグ優勝から25年、広島カープはリーグ優勝を果たします。偶然にも初優勝までと同じ25年という時間を市民は支え続けて来ました。

選手とファン、その絆は今も昔も変わらず受け継がれているのです。

 

最後に

広島カープというチームのこと、それを応援する広島市民の想いが多少ではありますが分かって頂けたでしょうか?

カープにこのような歴史があるように、他チームにも様々な歴史があります。

色々な歴史を見ていくことで贔屓のチームやプロ野球の事がより好きになると思います。

全てのファンの皆さまで日本のプロ野球を盛り上げていきましょう。

(ti)

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